2023年5月31日、JR東日本は、高輪築堤跡の保存、公開について発表しました。 高輪築堤は、1872(明治5)年に日本初の鉄道が新橋・横浜間に開業した際、高輪海岸沿いの海上に鉄道を走らせるために敷設された鉄道敷の遺構です。いろいろなところですでに言及されていますが、当時、軍による土地の提供がなされなかったために、海上に線路を通さざるを得なかったということですが、海上を走る汽車の姿は、錦絵にも描かれており、非常に見応えのあるものだったのではと想像されます。



JR東日本の発表によれば、現地保存する箇所は、第7橋梁部と公園部の二箇所となっています。公開時期は、2027年度なので、泉岳寺駅地区第二種市街地再開発事業の開業と同じ時期になるのではと思われます。特に橋梁部は泉岳寺駅地区に隣接するので、そちらからも見ることのできるような工夫がされれば良いなと思います。

第7橋梁部と公園部以外の部分については、「かつての築堤ライン上は、現地で発掘された築石を活用したランドスケープとし、歴史を感じる空間を創出します。」となっていますが、実際にどのような形になるかは不明です。
高輪ゲートウェイシティの再開発を優先せざるを得ない事情は一定理解できるので、発掘された築堤の一部しか保存できないという点は致し方ないのだと思います。その中でできる最大限のことをしようとしているのだろうと思います。一方で、やはり、そのほとんどの部分が現地で保存されないというのは非常に残念に思います。仮に発掘された築堤の全てが保存されていたとしたら、非常に壮観なものとなっていたと思われ、観光スポットとしての集客力はかなりのものとなったと想像されます。
疑問に思うのは、築堤の存在すること自体は、再開発の設計段階で分かっていたのではないかということです。であれば、全体を保存することを前提に高輪ゲートウェイシティの設計ができたのではないかと考えてしまいます。現在、高輪ゲートウェイシティとして再開発されている場所は、もともと海であり、前述の通り、品川から横浜まで汽車を走らせるために線路を海上に通したという話は、多くの人が知っている話です。ですから遺構として築堤が発掘される可能性がかなり高いこと分かっていたのではないかと思われます。
いわゆる先を見る力というのは、特に再開発を担う企業の能力として非常に重要なものだと思います。もし仮にJR東日本が、事前にこの辺りのことが予想できなかったのだとするとすると、高輪ゲートウェイシティの先行きに不安を感じてしまいます。実際には、JR東日本としても十分に予想しており、結果、私の想像を良い形で裏切り、全体として非常に調和の取れた、素晴らしいものになる可能性もあります。最終的な出来上がりをを見るまでは、結論が出せませんが、その分、楽しみでもあります。
また、高輪ゲートウェイシティの5街区、6街区にも高輪築堤は埋まっているはずなので、こちらについて、どのような対応になるのか、しっかりと築堤が発掘される前提での計画を期待したいと思います。